更新が滞っているが記事を書く時間がないわけではない

1ヶ月検診が終わった

先週半ばに1ヶ月健診を終え、母子ともに元気に過ごす毎日である。健診では、おしりにある小さな赤いポチが血管腫であると教えてもらった。少し膨れて大きくなるが、元が小さいのでそう気にしなくていいらしい。気になる。来月一応再診。医療費が無償なのは非常に有難い。先月保険証が届く前に下痢らしき症状で小児科にかかった時は、薬代も合わせて10000円ぶっ飛んだ。
健診が済んだのでお出かけOKなわけだが、暖冬とはいえ気温が低いし感染症も気になるので母ちゃんと共に引きこもっているももちゃんであった。来週は外気浴しようね。

寝ない子だ〜れだ

健診を節目に、週末に里帰り先から自宅に帰ってきた。病院や実家から持ち帰った荷物が散らかり、阿鼻叫喚、地獄絵図である。一足早く引き上げたベビーベッドは主人がしっかりと寝室に設置してくれたが、日中過ごすリビングは雑然としている。こりゃいかんと整理整頓を進めているところだ。
ももちゃんは、週前半の日中、とにかく寝なかった。慣れない環境に移ったのと、母乳の割合を増やしたのが関係していると思うが、10分と寝ていない日もあった。もも氏は覚醒時に何をしているかというと、八割方泣いている。残り二割は、風呂か食事か貴重なご機嫌タイム。賛否あるかもしれないが、ピーピー泣けちゃうその間は、ほとんど抱っこであやす。実に赤ちゃんらしくてよろしいが、そろそろ腰にきている。
それが、昨日は3時間続きの睡眠を何度もとり、夜はどうかとはらはらしたが、しっかりと眠っていた。新しい住まいに慣れてくれたのだろうか。偉いぞももちゃん。昨日の合計睡眠時間は14時間。さぞかし掃除が進んだろうと思われるかもしれないが、ももちゃんスヤスヤタイムを有効に使えていない自分がいる。さっさと掃除やその他の家事を済ませてブログの一本でも書けばいいのだが、食欲が勝って朝ごはん用のパンを焼いたり、夜寝れていないわけでもないのに一緒にお昼寝をしてしまったりする。掃除より食べたり寝たりする方が楽しいし楽チンだから仕方ない。明日こそは誘惑に打ち勝ち、片付けを進めたいものだ。

書く時間がないわけではない

ブログを週3更新にしよう!と言っていたが、全く出来ていない。時間がなくて書けないわけではないのに、書けていない。この状況を打破するために、書けていない理由を考えた。

  • やるべきことをやっていないのが後ろめたい

サンキュー主婦として、最低限洗濯と晩御飯の用意はしているが、部屋の片付けという最難関ミッションが立ちはだかっており、それを差し置いて趣味のくだらないブログなんてものを書くのは気が引けるのだ。里帰り中も、時間こそあったが、両親がいろいろ面倒を見てくれているのにブログなんて…と思い、なかなか書くことはできなかった。思考だけは真面目なつもりで何も為していない。

  • 書きかけの記事を仕上げるのが億劫

出産レポは無事書き終えたが、実は入院中にしたためた入院レポが残っている。これを日本語として人に読んでもらえる文章に直すのが億劫で、手を付けられていない。少し前のことになると、途端にやる気がなくなる。卵巣嚢腫について書いた時も思ったが「鉄は熱いうちに打て」とはごもっともなのだ。嫌ならやめてしまえばいいのだが、自分が思い出として取っておきたいというのもあるので、まだ諦めていない。

  • キーボードを使いたい欲が裏目に出ている

iPadブルートゥース接続したキーボードを使えば超早く記事が書けると思い込んでいるが、ももちゃんのお世話をしていると両手を使える時間はほとんどない。午前4時現在、ももちゃんを宥めてベッドに横たわりせっせとスマホで文字を打ち込んでいるが、この方がトータルでは早く記事が仕上がるのである。悲しい。

せっかくなので

私がブログを続けるには

  1. 掃除を早く終わらせる
  2. 書きたいときに書きたいことを書く
  3. iPhoneからでも積極的に書く

以上三点を意識する必要がある。せっかく始めた10億年ぶりのブログなので、細く長く続けていきたいものだ。

産後一ヶ月が経ちました

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明日は一ヶ月検診です

ももちゃん(仮名)は、今日で生後32日。あっという間に新生児を卒業し、明日はいよいよ一ヶ月検診だ。ちなみに新生児と呼ぶのは生後28日までであり、それ以降は乳児と呼ぶ。ニューボーンフォトを撮ろう撮ろうと思っていたが、すっかりチャンスを逃してしまった。ショボショボだった脚も多少肉付きがよくなり、目もパッチリと開いている。新生児特の雰囲気を出したい場合は2週目ごろまでの撮影がオススメ。今年は暖冬だが、お宮参りはもう少し暖かくなってからにする予定だ。

少し前まで「まだ生まれて2週間も経ってないんだねえ」なんて話していたはずだが、実家への里帰りも今週末まで。おじいちゃんもおばあちゃんも、有難いことに孫に夢中であり、おばあちゃんは先々週あたりから「もも(仮名)ロスになっちゃうね」と言っているが、来週早速仕事の関係で預かってもらう約束をしていたりする。

 

食べすぎなんだってば

臨月に入るころまでは、妊娠前+7kg程度に抑えていた体重が、年末年始のグータラ生活で生まれる直前には+10kgほどに。そして出産で出すものを出したので、数日後には+4kgまで減った。そして、今現在はというと+7kg。臨月と同じ体重である。どう考えても食べ過ぎであるし、産後の肥立ちが良いにも程がある。「授乳中だし…」「家戻ったら止めるし…」などと言い訳をしながら、一ヶ月間毎日欠かさずおやつを食べた結果がこれである。食べるのも食べさせるのも好きな家庭なので、誘惑が多すぎた。

 

大丈夫。3年前に実家を出たときは、半年で7kg痩せたじゃないか。半年と言わず、春までには体重を戻したいところだ。思い立ったら吉日とばかりに、先程早速筋トレアプリをインストールしたが、20秒で力尽きてしまった。先行き不安である。

 

デブズキッチン

最後に、食いしん坊家族のもとで過ごした中で作ったおやつを2つ紹介したい。

①おはぎ

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お彼岸でもないのに初めて作ってみた。土台部分は餅米:うるち米=2合:0.5合。あんこは炊飯器で炊いたが、水が足りず、結局30分ほど鍋でこねこねした。こねこねしすぎて餡が固すぎたのが反省点。ただ、固めの方が成形しやすいし、食べやすいという利点はある。土台部分が温かくてもちもちなのも乙である。

②スタバっぽいスコーン

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チョコチャンクスコーン風のアメリカンスコーン。これは何度か作っているが、冷めてからでも600Wで40秒加熱すると美味しく食べれる。朝食におすすめ。

眠れない夜は薬に頼ろう〜出産レポ⑥

はじめてのつめきり

個室に着くと、生まれたばかりの我が子をゆっくり観察する。紫色の手に少し血色が出てきた。小さい鼻の頭の白いポチポチが気になる。耳輪がペラペラで紙のようだ。
既に爪が伸びていたので、持参した爪切りで整える。小さい指を傷つけてしまいそうで、「こんな感じですかね」と助産師さんに尋ねながら恐る恐るハサミを進める。

私の両親が面会に来て、じいちゃんばあちゃんデビューを飾る。1つ親孝行ができた気がする。
出産当日なので、赤ちゃんはナースステーションで預かってもらい、主人も帰っていった。

一人の夜

遠くから赤ちゃんの泣き声が聞こえる。私の子かしら。空調が定期的に「レー」と鳴るのが気になる。

出産、痛くて怖かったな。

おへそ、もう凹んでるな。

お腹、もう仰向けになるとぺちゃんこだな。

赤ちゃんはここにはいないんだな。



下腹部痛と会陰切開の痛みで寝付けない中、少しセンチメンタルになってしまい、涙を流した。

それもこれも下腹部痛と会陰切開の痛みで寝付けないのが原因なので、さっさとナースコールをして「すみませんが…」とロキソニンをもらって寝た。




眠れなかった。
1時間後、脳が目覚めた。
目も瞑って身体は眠っているのに、意識は妙にはっきりしている。初めての感覚だが、金縛りではない。その時私は、出産を終えたことをちょっと忘れていて、そしてすぐに思い出した。脳はハイになっているが、身体は思った以上に疲れているのだろう。
少しブログにメモをする。時刻は午前3時22分。相変わらず「レー」が気になる。後陣痛はロキソニンの効果を超えてくる。
なんだかお腹が空いたので、明日の朝食が楽しみである。

 

 

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阿吽の私たち〜出産レポ⑤

16:00、点滴、テニスボール

陣痛の合間に急いで分娩室へ移動する。もちろん徒歩である。
「旦那さん、これで押してあげてください。」
ここで、おきまりのテニスボール登場。超定番のいきみ逃しグッズなので一応持参したのだが、ここぞというタイミングで助産師さんに病院のものを手渡してもらった。数多の妊婦の尻に当てられたであろうテニスボールである。同僚は、いざという時にテニスボールがなかったため、会社の人にもらった寄せ書きのカードの束を尻に当てるしかなかったと言っていた。寄せ書きというものは掃除のときに発掘してホッコリするくらいのものだが、ときには実用的なのだ。心温まるメッセージを尻に当てたくない人は100均でボールを買っていこう。
「セットして!」
「押して!」
「もうちょっと上!」
「もっと強く!」
「OK!」
夫婦初めてのいきみ逃し。私の要望に対し、毎回NICE及びGREAT判定を繰り出す主人。幼少からパラッパラッパーでタマネギセンセイと切磋琢磨してきただけある。いきみ逃しは四つん這いで行うイメージがあったが、私の場合は分娩台に変形するベッドの上で、横向きに寝て行った。いきみ逃しの感覚は経験しなければ分からないもので、前回の記事に書いた死ぬほど痛い思いを3回ほど経験したときとは雲泥の差。言葉では上手く説明できないが、痛くてもググッと押してもらうと、なんとか正気で耐えられる。痛いものは痛いのだが、泥と比較したらメチャメチャ雲なのだ。

16:54、いきみ開始

痛みに耐えるのに必死すぎてこの辺りの記憶が曖昧である。いきみ逃しの時間が長くて辛いと聞いていたので「えっ、もういきんでいいの!?」と感じた覚えがあり、テニスボール導入から1時間近くも経っていたとは思えない。
ベッドが分娩仕様にトランスフォームし、手はレバーに、脚は板の上に乗せる。先生が「脚をフンってやって、手もフンってやって、こんなふうに、ゴリラのようにふんばってね」と、ジェスチャーを交えてアドバイスをしてくれる。ここにきてゴリラ。そういえば助産師さんから「太くて長い便を切らずに出す感じ」というアドバイスも度々受けてきた。出産というのは、ゴリラとなって太くて長い便を排出するミッション。極めて野生的である。
更に、助産師さんからいきむときのポイントを伝えられる。
①痛みが来るのを待つ
②息を吐ききって吸って止める
③目を開いたままお尻を突き出してふんばる

以上、3点である。このたった3つの工程が、痛すぎて覚えられないままいきみタイムがスタート。「目開けてね」と声をかけてもらうが、何回も瞑ってしまっていた。難しい。お腹の痛みがきそうになると、目で合図を送る。頷く助産師。正に阿吽の呼吸である。私が阿で、助産師さんが吽。
③の間に息が切れたらもう一度②のように呼吸をしてふんばるのだが、痛みが引いたらその時点でふんばりをやめないといけない。
「もう一回いってみて!…あ〜次待ちましょう」という助産師さんの声かけが何度か続く。前述の通り、痛みで呼吸法が頭に入っていなかったので、1回の痛みで2回いきむのが精一杯だったのだが、2回いきんだ後に、助産師さんが毎回「あ〜」という感じなので「もしかして、一度の陣痛で3回いきまないと出ないのでは…?」ということに気がつく。そこからはワンセット3いきみを目指して精一杯踏ん張り、排臨・発露と、順長に進んでいった。

17:12、9回目で生まれた

「もうあと3回くらいで出てくるからね」
具体的に数字を提示してもらえると希望がもてる。「普通はこれ100回…は言い過ぎかもだけど、60回はやるかな」と、絶望的な数字も聞いてしまったが、ただの励ましだったかもしれない。会陰切開があったが、事前に得た情報の通り、陣痛に紛れてさして痛くはなかった。
9回目のいきみ。助産師さんが「はい、目開けて前見てね」と言った次の瞬間、ずっと黙っていた主人が「あ、出た」と声をあげ、力一杯泣きながら我が子が誕生した。身体をきれいにしてもらい、測定や処置を受ける我が子。カメラを託した主人がたくさん写真を撮ってくれている。数メートル先の真っ赤な我が子がよく見えずやきもきしているうちに、ツルッと胎盤が出てくる。
「上手でしたね。120点ですよ。」
何度か目を瞑ってしまったり、「いきむの止めてね」を聞き逃してMISSをしたのに、フルコンボ並みの褒められようだった。優しい世界である。

喉元すぎるのが早すぎた

妊娠中、経過は良好でもしんどい思いを何度もした。出産では、確かに産みの痛みを味わった。しかし、想像より遥かにスムーズに出産が進んだため、「やったー!生まれたぞ!」という喜びと「無事生まれてよかった」という安心と「こんなにしっかりとした赤ちゃんがお腹の中にいたんだ!」という驚きで、全く涙は出なかった。世の中の初産の方は、赤ちゃんとの対面に際して、もれなく涙を流しているイメージだったので、我ながら意外である。涙腺ユルユルのはずなのだが。実際、陣痛が来てからは約9時間、10分間隔になってからの分娩時間は約7時間。お医者さん曰く、経産婦でもまあまあ早めなのでは…という時間で出産することができた。
余韻に浸っていると、会陰の縫合が始まる。切開に加えて縫合もどさくさに紛れて痛くないという情報を得ていたので余裕をぶちかましていたが、先程述べたようにお産がスムーズにいきすぎて出産の痛みが喉元を過ぎてしまい、チクチクと縫われる感覚にひたすら耐えることとなった。残念である。

バースプランはしっかり書こう

「あれ、胎盤って、片付いちゃいました?」
縫合が終わると、さっきまで台の上にあった胎盤がなくなっている。長い間、我が子を守り、育ててくれた胎盤を、一度間近で見てみたかったのだ。手間をとらせてしまったが、ビニール袋に入った状態のものを持ってきてもらい、上から触らせてもらった。プニプニとした感触。へその緒はブニブニ。色形が模型そのままで感動した。
出産に向けて、バースプランというものを提出したが、何を書いたら良いのかよくわからなかった。次の機会があれば「生まれたら早く赤ちゃんを近くで見たい」ということと、胎盤を近くで見たい」ということを忘れずに伝えたい。

そして個室へ

一通り処置を受け、小さな帽子と肌着に身を包んだ我が子。私の右脇にやってきた。生まれたてホヤホヤでふにゃふにゃとしている。掌握反応や吸啜反応に感嘆していると、分娩室での待機時間が終わる。「歩いていけますか。車椅子もありますが…」という問いに、褒めそやされて調子に乗っていた私は「歩いて行きます!」と意気込んだものの、個室は分娩室から一番遠い部屋という罠が待ち受けていた。「こんなにしっかり歩ける人、少ないですよ〜」とおだててもらいながらも、車椅子をお願いすれば良かったと後悔したのだった。

 

 

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子どもを一人生んで、歯を一本失った

無念の虫歯

昨日の朝、リンゴを食べていると、口の中でガリッという感触がした。種か何かを噛んだと思っていたが、しばらくして普段歯があったところに歯がないことに気がついた。慌てて鏡で確認すると、右奥の一本の歯が4分の1ほど大きく欠けているではないか。舌で触ったときは一本丸々無くなってしまったような感じがしてドキッとしたので、思ったよりはマシではあった。それでも大きな大きな欠け。やってしまった。ただただ悲しい。

夕方、3年前まで通っていた里帰り先近くの歯医者に赴くと、よく喋る女性の先生が診察してくれた。「ちょっとこれはマズイわね」と渋い顔。原因は歯と歯の隙間にできた小さい虫歯なのだが、そこから菌が入り込んで中身がスッカスカになってしまっていた。スッカスカすぎて、レントゲンもスッケスケである。どうりでリンゴごときで欠けてしまうわけだ。とりあえずこの日は虫歯の部分をしっかり削り取って薬を詰めてもらい、神経を取るか取らないかは経過観察ということになった。

妊婦さんは積極的に歯医者へ行こう

「子どもを一人生むと、歯を一本失う」などという言葉があるそうだ。私はつわりが酷くて歯が磨けなかったということはなかったし、定期検診にもしっかり通っていたのだが、結局産後の今、言葉通りに歯を一本失ってしまった。歯間も含めて毎日しっかり磨いて気をつけていたつもりだったので、大変悔しい。

妊婦は歯科治療しない方がいい説(体勢が辛い・麻酔が心配など)もあるが、私は主治医に確認をとって、産休に入ってからここぞとばかりに積極的に治療を進めていた。それなのに、こんなことになってしまったのは大変残念である。

妊娠中は口内が酸性に傾くなど、虫歯になりやすい環境になる。世の妊婦さんには私のようにならないように歯を大切にしていただき、産後も油断しないように気をつけていただきたい。

私は3回死ぬかと思った〜出産レポ④

産まれてしまいます

車中でツナマヨの手巻き寿司を食べて腹ごしらえをし、陣痛が来ている間も普通に歩いて産婦人科外来へ向かう。余裕の闊歩である。主治医のN先生が不在のため、別の産科の先生に診察してもらうことになった。

「今、4cm開いてますね〜」
子宮口の開き具合をみてもらう。3日前の診察で3cmだったので、少し開いていて嬉しい。
「どうしましょう。一旦帰って様子みてもらってもいいですが、入院してこちらで管理させてもらった方がいいと思います。」
「入院でお願いします!」
こんなに陣痛が来ているのに、帰ったら家で産まれてしまうのではないか。何はともあれストレートで無事入院が決まった。

待機室にて

陣痛の痛みがやや強くなり、波が来るたびに立ち止まりながら病棟へ向かうと、スタッフさんに待機室に通された。隣には結構お産の進んでいる方が先に入っている。会話の内容から、促進剤を使っている様子だ。分娩監視装置から聞こえる音が強くなるたびに「ああ〜ああ…」と、痛みに苦しむ力無い声が聞こえてくる。私もあのように苦しむのかと、ここでメチャメチャびびってしまった。そして、親族大集合すぎてメチャメチャうるさかった。産まれた後も、隣にいる私に全く遠慮せずに待機室で大声で電話する産婦の父。怒りでいっぱいなのであった。いつまで待機しているつもりなんだ。早く娘と孫のところに行ってやってほしい。

突然の破水

分娩監視装置を見ていると、グラフが上がってくると同時に痛みがジワジワと広がってくる。痛みが「来た」とはっきりと分かるより先にグラフが動くので、経産婦の中には「アレを見ると痛くなるのが分かっていやだから、あえて見ないようにしてた」という方もいるそうだ。
まだまだ冷静に耐えられる痛みなので、私はグラフをじっと見つめて痛みに備えていた。
ある時、「また波が来るぞ」と思った瞬間、下半身にブワーッと生温い液体が広がっていった。破水である。これがまた生温かくて、メチャメチャ気持ちが悪い。とりあえずナースコールをして、着替えをする。ベッドは防水。有難い。お産パッドをあてておけばよかった。申し訳ない。産褥ショーツは残機2である。

破水前後に時々内診があったが、これがまた痛い。卵膜剥離でヒイヒイ言っていた頃が懐かしい。陣痛の強さも増してくる。
「今、私、カイロ・レンだわ…」
目を見開き、プルプル震えながらレイとせめぎ合うカイロ・レン。レイでも良かったが、ちょっとあの独特のイーッという表情は、お産に於いては力が入りすぎな気がするので除外しておく。

「15:44、腰がガクガクするくらい痛い」

「後でブログに書くからメモっといて」と、主人につけてもらった記録だ。「陣痛カウンターを押せるうちはまだまだ」とは本当にその通りである。一番痛いときは痛みに耐えるのに精一杯で、本当に腰がガクガクと震えた。今までずっとパチモンスカイウォーカーの呼吸法を続けていたが、「フー、スー」ができなくなり、「ふー!ふー!ふー!ふぅ…」と声が出てしまっていた。修行が足りない。痛みの質が明らかに変化したので内診してもらい、分娩室に移動することになった。
出産を振り返ると、このガクガクの痛みが一番痛くて、3回くらい「死ぬ!」と思ったし、子宮口が開くまでが超辛いというのは本当だった。

 

 

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陣痛時の入浴はお産を早めるのか〜出産レポ③

あらすじ

まだ見ぬ娘の粋な計らいによりマストな用事を全て完了した私。草木も眠るウシミツ・アワー、午前2時半に床に就いたのであった。ちなみに「丑三つ時」は午前2時~2時30分を表す言葉なので、ドンピシャである。恥ずかしながら今までざっくりと午前1時から3時ごろだと思っていたので、また一つ賢くなった。

何事もタイミングが肝心

39週6日。
あと1日で出産予定日というところだ。
正月が明け、主人は会社へ。家には私一人なので、少し心細い。

8:39、突然強い生理痛のような下腹部痛が起きる。妊娠期間に感じたことのない痛みが広がり、2分ほどで引いていった。17〜20分間隔で何度か繰り返したので、陣痛を疑う。陣痛は一定の間隔で来て、必ず引く時間がある。逆に、痛みが続く場合は異常の可能性があるので、産院に連絡が必要だ。
陣痛が来るまで、その痛みの想像がつかなかった。お得意の検索をかけても「腰が痛む」「生理痛のよう」という答えしかないのであてにならず、「陣痛が来ても分からないんじゃないか」と心配だった。前駆陣痛のように途中で痛みが引いて出産に繋がらないパターンもあるので、予定日間近になって、出勤した主人を呼び戻すタイミングなどに不安を感じていた。
実際は激しい胎動や卵膜剥離の嫌な感じとは違う、妊娠期間中に感じたことのない痛みだった。「もしかして陣痛かしら…」と考えていると、なんとここで主人が会社へ向かう電車が止まってしまい、休みを取って帰宅するという神イベントが発生する。予め陣痛タクシーは登録してあったが、このイベントがなければ、最悪自宅で破水してパニックになっていたかもしれない。帰宅するなり部屋着に着替えて布団に潜り込む主人を叩き起こし、部屋の整頓と身支度を始めるのだった。

スカイウォーカーとなれ

※全スターウォーズファンの皆様、ごめんなさい。
5分おきにやってくる陣痛の波。陣痛で呼吸が乱れると、パニックになってしまったり、痛みを強く感じてしまうことがあるそうだ。そういった状況を避けるために、普通の生理痛レベルの痛みのときから呼吸を乱さない練習をした。呼吸は吐く方が重要である。吐くことを意識することで、しっかり酸素が入ってくる。また、目を開けることも大切だ。目を閉じてしまうと、痛みに集中してしまったり、変な力が入ってしまうらしい。
フーっと息をしっかりと吐き、スーっとたっぷり吸う。これは赤ちゃんに酸素を届けるためにも重要である。
フー、スー、フー、スー…

「これ、スカイウォーカーじゃない?」

気づいてしまった。ちなみに8作目のラストのルークを指して言っている。フォースと一体となるような息遣い。フー、スー、フー、スー…これはもう、スカイウォーカーなのではないのか。そして、私はもう一つのことに気づいた。

「そういえばルークって目閉じてたね」

妊婦は目を閉じてはならない。私はスカイウォーカーではなかった。スターウォーズのにわかファンである。

最後のお風呂

「うわ〜、来たわ〜」と言いながらも、目を見開いて呼吸を落ち着かせ、フースー言いながら正にスカイウォーカー(結局その後も使い続けた)となっている私に「お風呂入るんじゃないの?」と問いかける主人。「行くのは陣痛の合間だわ!バカなの!」と、痛みの苛立ちからつい暴言を吐いてしまった。バカは言い過ぎだった。申し訳ない。この日のMAX暴言がこれなので、どうか許してほしい。痛みの引きを見計らって、超高速でシャワーを浴びる。計算上では15分は空くので、シャンプー→コンディショナー→身体→洗顔でフィニッシュのシンプルな工程は余裕で完了するはず。関係ないが、私は腕を後ろに回して長いボディタオルでワシワシと背中をこするのが大好きである。気をつけないと洗いすぎになってしまうので注意したいところだ。入院したら、次いつ身体を流せるか分からないと思い、連日「これが最後の風呂かもしれない」という覚悟をもってワシワシしていたが、改めて「最後の風呂」として心の準備をすることができた気がする。いざ出陣である。
※破水した場合、入浴・シャワーは禁忌なので注意

突然の5分間隔

朝、「陣痛かも?」と感じてから、ゼクシィBabyの陣痛カウンターを利用して陣痛の間隔を計っていた。大変便利なので、出産を控えている方には是非活用していただきたい。下のスクリーンショットは、実際の記録である。

十数分の間隔で陣痛が来ているのがよくわかる。そして、シャワーを浴びた後の記録も見ていただきたい。

じわじわと間隔が短くなるはずが、急に5分間隔でやってくる陣痛。初産なので、病院には10分おきになったら電話をして指示を仰ぐように言われている。10分おきをすっ飛ばして5分。焦りを感じつつも、そのまま1時間様子をみた。というのも、陣痛あるあるとして、電話をしてももう少し待つように言われたり、病院に行っても「まだまだだから一旦帰宅」と言われてしまうパターンがあるからだ。「5分間隔で1時間続いていますよ」というアピールをしっかりして、一発で入院をしたかったので、しばらく辛抱してから電話することにした。
外来に電話をかけると、平日日中なのに何度かけても繋がらずに苛立ちMAX。止むを得ず土日夜間向けの病棟にかけて状況を説明すると、「5分間隔ね…一度来てもらってもいいですけど帰ってもらうこともありますよ…」というように言われ、「5分間隔でもこんな微妙な感じの対応なのね…」と少ししょんぼりした。
まだまだ余裕の痛み。しかし陣痛の間隔は5分を切っている。とりあえず一度診察をしてもらうことにした我々は、道中でメルカリの商品と寒中見舞いを投函し、コンビニでお昼ご飯を買って病院へ向かうのであった。(私はツナマヨの手巻き)

 

 

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大根が苦手な人は、大根もちをこねてみてほしい

原稿を落としました

12月中旬から毎日(土日除く)ブログに記事を投稿してきたが、昨日、ついに間に合わなくなってしまった。自由気ままなベビーの機嫌と睡眠に翻弄された結果、ストックのブロッコリーの記事まで出してしまい、最早打つ手なし。

生後7日目。少し子育て生活にも慣れてきたので、ベビー熟睡時を見計らって出産・入院レポートをなんとか仕上げたいと思っている。ということで、昨日原稿を落としたことを正当化するために、これからはしばらく月・水・金更新としたい。「原稿を落とす」は、以前からちょっと言ってみたかった言葉だ。締め切りに間に合わないのはよくないことだが、アマプロ問わず、そもそも原稿を書く立場というものに憧れを感じるのだ。遊び呆けた学生が単位を落とすのとは話が違うのである。

 

 

我が家の冷蔵庫に鎮座しがち、NO.1

そして今回も準ストック記事から引っ張り出してきた、調理に関する記事である。

私は大根に対して特別な感情をもっている。というのも、調理法によって「好き」「嫌い」が大きく揺れ動くからだ。メジャーどころの味噌汁やおでんなど、煮たり茹でたりしたものには苦手意識がある。おでんに関しては、味噌やカラシを付けないと食べることができない。赤味噌大好きな名古屋舌なのだ。因みに、私はかの有名な「つけてみそかけてみそ」より「献立いろいろみそ」派である。

 

イチビキ 献立 いろいろみそ 赤 300g
 

 

反面、サンマや天ぷらに添える大根おろしには愛しい感情を抱いている。大根おろしダクダクの天つゆにつけて食べる天ぷらは至高である。また、びっくりドンキーのサラダも好きだ。マヨネーズと大根の奇跡の出会いに祝福を。

大根について本気出して考えてみると、熱を加えた大根の苦味や繊維のテクスチャが苦手で、生のシャキシャキとした食感や、調味料を含んでどろどろになった大根おろしが好きなのだと改めて確認することができた。

「大根もち」をご存知だろうか

本日は、「大根もち」という料理を紹介したい。あまりメジャーではないと思っている。大根を茹でるでもなく、おろしただけでは終わらない調理工程。でも、簡単に作ることができる。

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先日のエントリで書いたように、苦手意識から冷蔵庫で持て余していた大根。この調理法なら、簡単に消費できるのでおすすめだ。味と食感が大根らしくないので、苦手な人には是非一度試していただきたいメニューである。

レッツクッキング!

大根おろしを絞り、小麦粉と片栗粉を加えてこねる。それだけだ。

詳しいレシピは、こちらを参照していただきたい。桜海老はなくても十分おいしい。

簡単おつまみおやつにも☆もちもち大根餅 by 郁.. 【クックパッド】 簡単おいしいみんなのレシピが321万品

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みりんで仕上げてあるので、テリテリのテリ。モッチモッチの状態が最高である。ついつい食前に3つ食べて、メインのシチューが食べられなくなってしまったくらいだ。

レシピの味付けだと、お煎餅のぽたぽた焼のような味だと感じたが、主人には分かってもらえなかった。大根の味はほとんど息を潜めているので、ただただモチモチの食感とぽたぽた焼味を楽しむ料理となっている。前回はケチャップをかけて食べたが、洋風の味付けも乙だ。

 

苦手な食材をおいしく食べるコツは、食感や味を元の素材からどれだけ引き離せるのかにあるのかもしれない。

ブロッコリーが苦手な人は、おかかと和えてみてほしい

ブロッコリーは森である

子どもの頃、母から「好き嫌いが多い」とよく叱られた。だが、私自身はそうは思っていない。世間には、食物アレルギーや宗教上の特別な理由もなく「肉が嫌い」「魚がムリ」「野菜が苦手」 というようにジャンルごとダメな人がいる中では、比較的好き嫌いせずに何でも食べる方だと思っている。
お肉も魚介類も好きだし、野菜では、甘酸っぱいトマト、とろとろにとろけるナス、くたくたになった玉ねぎなど、好きな食材がたくさんある。セロリや春菊など、クセの強い葉っぱも大好物だ。
子どもの頃は、きのこの中でもシメジとエリンギが苦手だったが、大人になって旨味が分かり、克服することができた。野菜という括りではないが、酢の物なども好んで食べるようになった。あとはタバスコの青。他にはない独特の酸味がクセになる。大人になると、こうも味覚は変化するのだと驚いたものだ。

味覚が変化していく中、大人になっても変わらず苦手な食べ物がある。ブロッコリーだ。よく似たカリフラワーや、ひよこ豆パクチーなどもあまり好んでは食べないが、この中でより高い頻度で出現するのはブロッコリーである。特に、生野菜と共にしれっとサラダに乗っているのが気にくわない。フレッシュなサラダの片隅に「僕は飾りですよ」とばかりに一片だけ気取って鎮座している。見栄えをよくする目的ならパセリにしてほしい。私はパセリは食べる派だ。
幼い頃からアンチブロッコリーだった。あの咀嚼したときのモソッとした感覚と、青臭い味が苦手なのだ。マヨネーズをかけたり、チーズをかけてグラタンにしたりするなど、母なりに工夫して食べさせようとしてくれたが、それらはどこまでも
「マヨネーズとブロッコリー
「チーズとブロッコリー
でしかなく、親元にいるうちに好きになることはなかった。

ブロッコリーは食べ物ではない。あのモリモリとした形は、さながらである。二十数年間、そう思って生きてきた。
そんなアンチブロッコリー人生を変える一品に、数年前に出会った。社食で食べたおかか和えである。

鰹節と醤油が起こした奇跡

よくよく考えれば、マヨネーズもチーズも乳製品である。どちらも好きなトッピングだが、ブロッコリー森感を打ち消すにはパワー不足だ。
一方おかか和えは、パンチの効いた醤油味で青臭さを打ち消してくれる。さらに鰹節の風味がブロッコリーを海へと誘う。西洋野菜故にマヨやチーズの方が合うイメージだが、青臭さを消すための効果的なアプローチとしては、和風の味付けの方が適当だったのだ。
初めて口にしたとき、「おいしい」と思った。それどころか「もっと食べたい」と感じるほどだった。
残念ながら食感は変わりないが、醤油と鰹節の旨味に気を取られてどうでもよくなってくる。
乱暴かもしれないが、とにかく乳製品とは比較にならないほどブロッコリーの嫌な部分を吹き飛ばしてくれる。そんな味付けなのだ。

作り方は、ブロッコリーを茹で、鰹節と醤油で和える。以上である。

実家からお裾分けしてもらった小さい房をダイナミックに切ってしまった上に、しっかり茹ですぎて色が悪くなりビジュアルは△だが、味は間違いない。

往年のブロッコリー嫌いが「おいしい」と感じたおかか和え。この世にブロッコリーが苦手だという人はたくさんいると思うので、試しに一度作って食べてみていただきたい。もしかしたら、気に入ってもらえるかもしれない。
1つ苦手な食材が減るというのは、いくつになっても嬉しいものだ。

明日やろうはバカ野郎〜出産レポ②



卵膜剥離当日の39週3日から3日間、不貞寝をしながらも、実はやり残して気がかりだったことが3つもあった。
卵膜剥離後、ボコスカとお腹の中で暴れる娘。尋常じゃない動きだったので、きっと出てきたくて出てきたくて仕方がなかったと思う。しかし「母ちゃん、何だか乗り気じゃないから、また明日だね」と気遣ってキックで済ませてくれたのだと思っている。ありがとう。生まれる前から親孝行である。
以下、先延ばし癖のある自分が、「明日やろう」と思ってしばらく放置したものの、出産前にどうしても済ませたかったことである。よって、今日の内容はあまりセンシティブではない。下腹部痛がとか破水がだとかは次回以降になるので、どうぞお楽しみに。

①ブログの記事の書き溜め

産後にわざわざ卵巣嚢腫の話をするのもなんだったので、手術の記録を書ききってしまいたかった。しかし、2年半も前のこと。断片的な記憶から書きたい事柄をまとめることが難しく、なかなか筆がのらなかった。出産前日になんとか予約投稿完了。

②冷蔵庫の野菜たちの整理

・大根
実家に分けてもらったおすそ分けの残り
・白菜
同上
・キャベツ
同上
・サニーレタス
クリスマスのサラダの残り

これらの野菜たちが冷蔵庫に鎮座していた。サニーレタスに関しては、しおしおになっていないのが不思議である。主人は基本的に調理をしないので「このまま出産になったらゴミになってしまう。どうにか消費しなければ…」とヤキモキするも、卵膜剥離の痛みに負け、なかなかご飯がまともに作れずにいた。
こちらも出産前日に「流石にまずい」と思い、白菜は雑煮に、サニーレタスはサラダにして昼食として食べ、晩にはキャベツのシチューと大根もちを作った。あやしい献立だが、致し方ない。
残念ながらキャベツは残ってしまったが、夫が面倒くさがらずにラーメンや焼きそばに入れて食べてくれることを願っている。

③メルカリの発送準備

こんな時でもメルカリである。売れないと思っていたものが、ひょんなことから売れてしまったのだ。今は全商品公開停止している。
梱包は済んでいたが、切手代が94円のところ82円切手と10円切手しか手元になかったので、なかなか発送できずにいた。こちらもまた、出産前日に2円切手の調達を主人に頼んだ。なんだったら陣痛が来てから病院に行く途中にポストに投函した。我ながらひどすぎる。退院となる今日、まだ受け取り評価がされておらず心配したが、よく考えたら普通郵便なら妥当な日数である。

④特別な寒中見舞い

これが一番億劫だったが、大切な案件だった。

1月5日に年賀状が届いた。3年前に仕事で担当に付いた顧客からだ。(カモフラ)まさか私に年賀状を送ってくれるとは思っていなかったし、メッセージもとても心温まるものだった。「この嬉しい気持ちをお返ししたいな」と思い、手書きで特別な寒中見舞いを出そうと思った。イラスト等の構想は練っているが、最近はめっきり印刷で済ませていたので、なかなかやる気が出ない。先送り癖の再発である。大事な案件ほど深く考えてしまい、それが自分を縛り付けてしまうのだ。
このままではまずいと思い立ち、出産当日の深夜2時ごろに完了。安心して眠りについた。一旦「色鉛筆で塗るのは明日でいいや」と思ったが、大間違いだった。危ない。セーフである。こちらもメルカリの商品と共に病院へ向かう途中に投函した。

娘よ、ありがとう

こうして、私は先延ばしにしていたことを全て出産前に終えることができた。卵膜剥離を受けてもすぐ生まれてこなかったのは、お腹の中の子が、少しの痛みでくよくよして物事を先延ばしにする弱い母親に、少しだけ自分の時間をくれようとしていたからだと思っている。言葉が分かるようになったら、また直接感謝を伝えたい。今回の出産は上記のこと以外にも超絶にタイミングがよく、生まれる前から大変親孝行な娘なのだ。
次回からはだんだんとセンシティブな内容になる。「そんなプライベートなことを書くやつの気が知れない」という方もいるかもしれないが、私は人の体験談を読むのが好きだし、それで何度も助かってきているので、自分の例も誰かに参考の1つとして加えてもらえると嬉しいなと思っている。

 

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専門用語でよろしく頼む〜出産レポ①

ベビー爆誕の巻

2020年、1月10日。我が家のベビーが爆誕した。
約3200g。概ねエコーでの推定通り。妊娠中期ごろまでは、健診の度にN先生に「小さめなので、多分2800gくらいですかね〜。全然気にしなくてもいいですけどね〜。」メチャメチャ気になることを言われ続けていたが、最終的にはそこそこの大きさに成長してくれてよかった。

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妊娠中の生活は以前記事にしたので、その後、出産に至るまでの記録をつけておく。
大体どこの出産レポも、出産一ヶ月後あたりに「みなさんお久しぶりです(^^*)慌ただしくしていたら、なんともう1ヶ月!(汗)遅ればせながら出産レポを書いていきたいと思います(u_u*)」といった感じで再開していることが多いが、私はこの記事の以下の部分を事前に仕上げておいたので、余裕で投稿できるのだ。すごいだろう。ただ、今後は産後のバタバタで途切れ途切れになる可能性はである。ご容赦願いたい。
先にネタバレしておくと、初産のくせにクソ安産だった。言葉が汚くて申し訳ない。神様、仏様、娘様、ありがとう。アイキャッチの画像も、分娩室で自分で撮った主人の指を掌握するマイベビーである。結構素敵でしょ。

遡ること、39週3日

正月を挟んだため、二週間ぶりの健診。
通常、臨月に入ると週に一回になるのだが、大事な大事なお正月休みなので仕方ない。あのクールなN先生も、ご実家でコタツに入り、テレビを観ながらみかんをつまんだりしているのだろうか。なんだか想像がつかない。

いつもそっぽを向いていたのに、この日は久しぶりにエコーで顔を見ることができた。2Dなので唇周りがボワっと映るのが面白い。予定日が近いのでノンストレステストを受けたり、今までと違うことが多々あったが、最後はN先生の診察である。
内診台に上がった途端、「今からちょっと中広げますからね。卵膜剥離という処置をしますね〜。」と、N先生。私、心の準備ゼロからの突然の痛みに耐えながら「あっ、これアレだ!」と気づく。そう、俗に言う内診グリグリである。
内診グリグリという言葉と卵膜剥離という言葉についてはそれぞれ知っていたが、勝手ながら内診グリグリはただの内診だと思っていたので、前回内診があったときに別に痛くないなと余裕をぶっこいていたし、卵膜剥離はもっと特別な処置だと思っていた。要するに、内診グリグリ=卵膜剥離であることを知らなかったのだ。なんなんだ「内診グリグリ」って。きちんと専門用語で表してほしいと憤りたいところだが、よく使われる「安定期」も実際のところ医学用語ではないので、そのあたりは難しいところだ。卵膜剥離についてもまさか自分が受けると思っていなかったので、あまり調べていなかったが、個人的な解釈としては「強制おしるしといったところだろうか。

N先生は毎回超音波器具の内診の際に「痛いけどごめんなさいね〜」と言うものの、今まで一度たりとも痛かった試しがない。他の先生だと痛みがあることが多いので、N先生はすごいな〜と尊敬していた。しかし、今回は「痛いですよ〜我慢して頑張ってくださいね〜」という新パターンの言葉かけだった。どうやら今までの「痛いけどごめんなさいね〜」はおべんちゃらだったようだ。

正月休みを寝て過ごしたのに子宮口が3cm開いていたことは嬉しかった。しかし、卵膜剥離の痛みでテンションが爆下がり。でっかい病院なので、会計や駐車場までの距離がかなりある。憂鬱な気持ちを抱え、途中ベンチで休憩しながら生気の抜けた顔でトボトボと歩いた。
この日は帰宅後も出血と下腹部痛と激しい胎動が続き、すっかり心を折られ、その後2日間ずっと不貞寝をしていた。ここにきてメンタル弱すぎなのであった。

 

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西洋医学よ、ありがとう〜卵巣嚢腫と私③

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ついでにできるものなのか

入院中のいつぞや、N先生から術後の説明があった。

子宮筋腫、ちっちゃいの取っておきましたからね〜」

子宮筋腫核出。

「ついでに卵管掃除しておきましたからね〜」

卵管の掃除。ついでにである。

ついでに卵管の掃除をするという言葉が自分にとって未知の領域すぎて驚いたが、医療について素人の私が理解しようとするのはそもそも傲慢である。
不妊治療の一環で卵管に働きかけることがあるそうだが、これがまた超激痛らしいので、意識のない間に処置してもらったのは大変ラッキーであった。ありがとう、N先生。
そして、退院後の診察で、私の卵巣嚢腫はチョコレート嚢腫であることを伝えられた。

ピルはすごいんだぞ

卵巣嚢腫の内容物には漿液・粘液・脂肪などの種類があり、血液の場合はチョコレート嚢腫と呼ばれている。名前こそかわいいが、子宮内膜症由来のもので、ぶり返す可能性のある厄介なやつだ。立ち会ってくれた母が、嚢腫の内容液を見たそうだ。黄色い液体に少し黒いものが入っていたということなので、この黒いものが血液なのだろう。私も見たかった。
再発を防ぐために「ピルを飲みましょう」ということになった。これまたショックではあったが、やむを得ない。月経をコントロールすることが重要なのだ。
その後、ヤーズフレックスという低容量ピルを結婚するまで飲み続けた。排卵を抑え、月経の回数を少なくすることができる。(違ったらごめんなさい。)
血栓症のリスクがあるし、毎日続けなければならないので、最初は薬漬けになるイメージで飲むのが嫌だった。しかし、幸い副作用もなく、自分には合っていたようなので、実際にはメリットだらけだった。

  • うまくいけば生理(消退出血)が3ヶ月に1回で済む
  • 生理周期が安定する
  • 生理痛が軽減し、経血も少なくなる
  • 肌もマシになる

元々そんなに月経で苦労していたわけでもないが、それでも今まで飲んでなかったことが悔やまれるほど楽チンになった。
私は子宮内膜症の治療目的で飲んでいたが、「生理痛が重い」等で悩んでいる方は、とにかく一度産婦人科にかかってほしい。そこには何か病気が隠れているかもしれないし、薬で症状が改善することもある。

総括

人生で初めての入院・手術だったため、医療に従事する方々の大変さや、その恩恵を受けることができる有り難さを知ることができた。以前、N先生が緊急手術に入ってしまい、診察まで5時間待ったことがあったが「大変な手術後に申し訳ないな」という思いを抱いた。今後間違っても、30分待たされたくらいで受付に怒鳴り込むお年寄りのようになることはないだろう。経験が人の言動を変えるのだ。
また、きちんと計算をしていないが、手術だけで五十万、麻酔等含めトータル九十万もするような高額な医療を、限度額うんたらや保険やらで無償同然で受けることができた。日本の医療制度にも感謝したいものである。どうにか破綻しないように、政治家の方にはご尽力願いたい。

手術から一年後、結婚を機にピルを飲むのを中断し、そのまた一年後には無事妊娠することができた。病気が見つかったときには「自分には子どもができないのではないか」と不安に思うことあったが、良い先生と出会い、しっかり治療してもらえたことはとても幸せなことだと思う。
閉経まで薬との付き合いは続くだろうし、また別の病気にかかる可能性も大いにある。その都度、感謝の気持ちを忘れずにお世話になっていきたい。
本当に、西洋医学よ、ありがとう。

(完)

全身麻酔は漫画のように〜卵巣嚢腫と私②

 

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N先生との出会い

2017年、5月2日。
近所の産婦人科医に書いてもらった紹介状を持ち、大きな総合病院へ向かった。今は亡き祖母が、昔手術を受けたところだ。
この日、初めてN先生と出会った。「中堅」といったイメージの男性。実は、現在も妊婦検診でお世話になっている。今でこそ全幅の信頼を寄せているが、最初の頃は、言葉が丁寧でも、無表情で目が笑っていないN先生が少し苦手だった。
往生際が悪い私は、手術を受けるのが嫌で嫌でしかたがなかった。なので、手術が確定したことを告げられないまま突然看護師さんから入院の説明を受けた時は、大変ショックを受けた。他にもがんの検査にドキドキしたり、肺機能のチェックでゼェゼェとなったり、実際に手術を受けるまで仕事の合間を縫って10回ほど通院し、少しずつ手術への覚悟を決めていった。N先生は忙しいので、いつも必要なことだけを坦々と伝えてくれた。

みかんと卵巣

通っていた病院は、当時の自宅から遠かった。何故わざわざそこを選んだかというと、設備が整っているからだ。
皆さんは腹腔鏡手術というのをご存知だろうか。ぱっくり開腹するのではなく、小さな穴をいくつか開けて、そこになんやら器具を入れて処置をしてもらう低侵襲性の手術である。傷が小さいので、術後の疼痛も開腹より少なく、美容的にも優れている。なるべく安心して手術に臨みたかったので、私は迷わず腹腔鏡手術の実績が多い病院を選んだ。

ある日の診察で、N先生が手術の説明をしてくれた。
「卵巣がみかんだとしてですね、皮の部分をめくって、内容物を出して、また戻すんです。実際中を見て、状況によってはそれ以外も取らないといけないこともあります。」
これがその時の説明の図である。

右の丸が卵巣をカットする様子、左半分がお腹に開ける穴の場所だと思われる。バッテン印はよく分からない。
そういえば近所の産婦人科医も、同じように「卵巣がみかんだとして…」と簡単に説明をしてくれた。そちらで描いてもらった図は、確か皮につぶつぶのついたみかんだった。産婦人科には卵巣はみかんに例えて説明するというマニュアルでもあるのだろうか。

「一個あれば妊娠は可能ですけどね、なるべく残しますからね。」

パンパンに腫れた卵巣だが、「卵巣腫瘍摘出術」ということで、なるべく健康な部分は保存できるように手術をしてくれることが分かった。

いざ、手術室へ

仕事が一段落した7月25日、ついに入院の日がやってきた。日中は母に付き添ってもらい、絶食したり着替えたりして、翌日はいよいよ手術の日だ。
中央手術部 | 関西ろうさい病院(兵庫県尼崎市)地域医療支援病院・がん診療連携拠点病院
手術室の様子は、このページの汎用性に優れた広いスペースという項目の写真が一番近いような気がする。眩しい照明。寒色系の、広くて無機質な部屋。初めて入る空間は、映画やドラマのようだった。

眠っている間に開腹手術になったらいやだな。
万が一失敗したらどうなってしまうんだろう。
もし全身麻酔から目覚めなかったら…

術前には「ちょんまげ〜」などとツイートしていたが、いざ手術台に上がるとそんな不安がまとわりつき、涙が出てしまった。そんなに命に関わるような手術ではないはずなのに。スタッフの方が「大丈夫?こわいよね」と、ティッシュを渡してくれる。いい歳して、子どものようだった。
さめざめと泣いた後、涙と鼻水を拭いて気持ちを立て直していると、若い男性の麻酔科医が話しかけてくる。
「どう?昨日寝れた?(笑)」
謎のチャラさを全面に醸し出す医者。以前名古屋に裁判を見に行った際、成歩堂龍一宜しく啖呵を切る弁護士と、扇子で嫌味ったらしそうな顔を仰ぐ検察官の熱いバトルを見たことがあるが、それに匹敵するほどフィクションのキャラクターのようであった。
口にマスクを付けてもらう。
「はーい、まだこれ酸素だから!麻酔入れてないからね!はい、しっかり吸って〜吐いて〜」

これ、未だに嘘じゃないかなと思っている。
マスクか点滴から麻酔が入っていたのか、この会話以降の記憶が全くなく、一瞬で意識を失ったに違いない。麻酔科医、恐るべし。

体感では、数分間の暗闇の後、遠くから声が聞こえた。




「◯◯さーん!手術終わりましたよー!」
手術室からワープしているので状況が理解できないが、どうやらベッドに寝たままガタガタと移動しているようだった。
意識が戻ると同時に、唐突に腹部にナイフで刺されたような激痛が走る。勿論ナイフで刺されたことはないが、怨恨でサクッと刺されたらこんな感じなんだろうなというほど痛かった。皆さんには、人から恨みを買わないように気をつけていただきたい。
「痛いッス!めっちゃ痛いッス!」
パニックになりながらも、一応敬語で騒いだ。
「痛いってよ」「今鎮痛剤打ちますからね〜」
そんな会話が聞こえてくる。早くしてくれ。死んでしまう。

病室で痛み止めを打ってもらい、しばらくすると痛みは落ち着いた。足元では、血栓を防ぐためのポンプ(多分)がシュコシュコと音を立てている。立ち会ってくれた母が帰宅してしばらくすると、また痛みが出てきた。苦しい。鼻のあたりに何か管がついているのも相まって、呼吸がうまくできない。ここで「息ができなくて死ぬ!」とパニックになり、泣きながらナースコールをした。鼻をスンスンしながら「これ、苦しいので外せますか…?」と聞くと、丁度時間になったようで、管を外してもらえた。多分酸素を送るチューブだったのだが、この時は本当に死を感じた。パニックって怖い。

夜間になり、痛みが強くなる。しかし、ナースコールをしても無駄である。何せ、この筋肉注射の痛み止め、6時間ほど間を開けないと打てないのだ。
時が経つのを待つしかないが、部屋に時計がない。痛みが最高潮の中、腕を精一杯伸ばし、苦悶の表情でiPhoneを鞄から取り出す。自分としては、命からがら。時間を確認できるようになるまでが、本当に地獄だった。

小さい傷でもめちゃくちゃ痛い

「4つ穴を開けると言ったな。あれは嘘だ。」とばかりに、N先生はおへそと左の下腹部の2つで手術を完了してくれた。N先生、すごい。ちょっと苦手だと思ってたことを申し訳なく感じた。おへその方の傷は少し大きめで、一時期はおへそがなくなるかと思ったが、きちんと元のように、汚れの溜まらないぽっかりおへそに戻ったので良かった。私は自分のおへそがお気に入りだったのだ。
ただ、2つの小さな傷でも、先ほど述べたように、しばらくはめちゃめちゃ痛かった。ご丁寧に痛さレベルのメモが取ってあったので、痛みレベル(☆)とちょっとしたメモ(鉤括弧内)を転記しておく。私は痛みに弱い方だと思う。参考程度にしてほしい。

手術当日夜…☆☆☆☆☆
「ねれない・痛み止め3本」
この日は、筋肉注射を打つ痛みがどうでもよくなる程、傷の痛みが辛かった。必死の思いで手にしたiPhoneで時間を確認し、6時間のスパンギリギリでナースコールを押して痛み止めを打ってもらった。氷枕を当ててもらうと、だいぶマシになった。

術後1日目…☆☆☆☆
ロキソニン・痛いけど寝れる・朝水飲む・お昼食べ過ぎ」
この日は注射は打たなかったのだろうか。ロキソニンで抑えられる痛みなら全然マシである。
術前からずっと絶食だったが、朝は水を飲み、お昼からご飯が出た。食いしん坊なので、胃腸の調子が不安定なのに食べすぎてしまったようである。

術後2日目…☆☆☆
「薬がこないが大丈夫・すごく寝れる・ガスが出る」
薬、もらえなかったのだろうか。それでもしっかり寝れるほど痛みが治まっているのはすごい。胃腸の調子も順調だが、お通じはまだである。
この日は上司がお見舞いに来てくれた。痛みが落ち着いたタイミングで本当に良かったと思う。

術後3日目…☆
ロキソニンいらず・くしゃみや咳が出るとやばい・お通じあり」
痛みレベル星一つというところからも、ロキソニンがいらないほど痛みがなくなったことが分かる。
この日は当時はカレピだった今の主人がお見舞いに来てくれてウキウキだった。院内のカフェでお茶をしたが、笑うと傷が痛むのでひやひやしながら会話をした。

術後4日目…☆退院
退院後は、しばらく実家で世話になることになっていた。しかし、笑うと傷がひどく痛むので、会食中の父のくだらない冗談などに耐えきれなくなり、一週間で一人暮らしの自宅へ戻るのだった。箸が転んでもおかしい年頃は過ぎているような気がするが、笑ってはいけないときこそ、なぜかツボにはまってしまうものである。

今回のまとめ

初めての全身麻酔。今でも忘れられないが、麻酔からの覚醒時は、本当に漫画や映画の世界のようだった。
腹腔鏡手術は低侵襲だが、それでも傷は大変痛む。夜間、痛みに耐えきれずに看護師さんを呼ぶと、その姿は正に「白衣の天使」であると感じた。時には「うーん、まだ2時間は痛み止め打てませんね」と、悶え苦しむ人間を無慈悲に絶望に叩き落とす天使である。何度も呼んでごめんなさい。
元が痛みのない病気なのでなんだか理不尽に感じたが、その後順調に回復したので良かった。

おまけ

入院中に書いた5コマ漫画がある。手術室で一番印象に残ったことがこれである。


本当にリンク先のように、でっかくてプルプルのパイン飴みたいな枕だったので驚いた。
Source ラウンドゲルヘッド位置決め医療ヘッド枕パッド用手術室 on m.alibaba.com

続き

 

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若い女性は婦人科に行け〜卵巣嚢腫と私①

2017年の夏、卵巣嚢腫の手術をした。
不安で枕を濡らした夜も、小さな傷の痛みで悶えた夜もほとんど忘れてしまったが、現時点で残っている記憶の記録をしておきたい。
また、私と同じ病気が見つかって悩んでいる方には、治療が一段落するまでの1つのケースとして読んでもらえたらと思う。
ツイートの「ちょんまげ〜」は、きっと当時の私の強がりである。

自分は健康だと思いたかった

婦人科に行こうと思い立ったのは、包み隠さず言うと、おりものが気になったからだ。ネットで見るように透明ではないのが気になり、「万が一変な病気とかだったら嫌だな」と検査をしてもらうために産婦人科デビューをした。ついでに子宮頚がんの検査もしてもらった。


「〇〇さんね、画面見て。」

女医さんのいる時間を狙い、人生で初めての内診。股をぱかっと開いた状態で見せられたのは、パンパンに膨らんだ自分の卵巣だった。

「右のがこれね。で、左がコレ。」

思わず「うわー!」と声が出るほど左だけパンパンだった。衝撃。サイズはもう覚えていないが、直径7cmか9cmだった気がする。

「結構大きいので多分手術になりますね。」

あれ?ちょっとした検査に来たはずなのに手術?と混乱して、待合室で泣いた。その際に、優しく励ましてくれた看護師さんに超感謝している。(看護師の方々には、今後病院でお世話になるにあたって、後々もっと感謝することになる。)

全体的にモッサリとしているが、今まで一応大きな病気もせずに健康に生きてきたので、「私の体は丈夫で健康なのだ」と思い込んでいた。そんな中に手術宣告。人生どん底の気持ちで家に帰った。

代替医療でダイエット

病気が判明してから、検索魔の私はとにかくネットから知識を探った。医者から聞いた「卵巣嚢腫」という言葉で検索をかけ、Wikipediaから個人ブログまで、夜な夜な目をギラギラさせて自分はどういった病気なのか調べた。
一通り調べた結果、はっきりと原因が分からない病気であることが分かった。当初気になっていたおりものも結局問題なく、この病気とは全く関係がなかった。

肩を出して電気を点けっぱなしで寝たのがいけなかったかな。肉や甘い物の食べ過ぎかな。運動不足がいけなかったのかな。仕事を頑張りすぎてストレスが溜まったのかな…。原因が分からないので、後悔することさえ上手くできなかった。
そんな中、東洋医学に関連した冷えが疾患を招くという考え方にたどり着いた。もしかしたら病気が良くならないかなと、一縷の期待を託して生活や食を見直した。

タイミングが良かったのか悪かったのか分からないが、丁度実家を出て一人暮らしを始めたところだったので、とにかく肉を使わずに調理をし、体を冷やさないようにも気をつけた。そうしたら、みるみる体重が減り、7キロほど痩せた。リバウンドもなく、ぽっちゃりがすこしスッキリして気分が良かった。
それまでは、夜10時過ぎに仕事から帰り、母のこしらえたカツ丼を食べる(食べないと母がガッカリしてしまう)ようなデブ生活を送っていたので、体重が落ちるのは当然だった。

しかし、パンパンに膨れた卵巣は一向に小さくならなかった。旅行先の清水寺音羽の滝で、健康長寿の水を一気飲みしたりしたが、そんな願掛けでは手術を免れることはできなかったのだ。でっかくなった卵巣を鎮めるには手術しかない。それが現実であった。
そんなわけで、狭義の代替療法を試してみたわけだが、病気には全く効果なし。肉を食べすぎたり体を冷やすのは確かに良くないことかもしれないが、きっと普段から習慣づける事で疾患のリスクが減るのかもしれない。
重篤な病気になってしまった方が、藁にもすがる思いで大枚叩いていろいろと試す気持ちがよく分かった。ただ、私の場合は普通の市販の本を5冊購入しただけで、調理スキルが0から7くらいまで上がり、デブから健康体重下限のややスリムになったので、めちゃくちゃ結果オーライだった。ちなみに、本はアマゾンの中古で購入し、先日メルカリで売った。いかなる時でも倹約は怠らない。効果があるのかどうなのか怪しいホメオパシーだとか高額なサプリメントだとか、そういったものに手を出さなくて本当に良かったし、この経験によって代替医療への耐性がついた気がする。

早く見つかれば儲け物

医者からは「珍しくない病気だけど、友達10人に聞いて同じ病気って人はまずいないだろうね」と言われたが、「こんな病気になりましたよ〜」「手術しましたよ〜」と職場やツイッター等で報告したところ、周りに同じ病状の人が結構いて驚いた。主に以下のような反応があった。

「友達が手術した」
「この前手術したところ」
「今度手術します」
「娘の卵巣も腫れてる」
「娘が捻転で緊急手術した」

この5つ目の捻転というのが厄介で、腫れた卵巣が重みで捻れると、血が通わなくなって腐ってダメになってしまう。一応片方でも妊娠は可能だが、大事な卵巣を1つダメにしてしまうというのはとても怖い。また、破裂してしまうこともある。

医者からも捻転のリスクを聞いてから「手術は怖いけれど、捻転する前に見つかったのはラッキーだし、婦人科に気軽に行った自分グッジョブ!」と病気が見つかったことをポジティブに捉えることにした。
世間には「何か見つかると嫌だから検査を受けたくない」という人が一定数いるが、私は早く見つけたい。手遅れになって怪しい代替医療に引っかかって財を失うよりも、早期発見できちんと治療をお願いしたいのだ。本当に大きな病気にかかったときにそう都合よくいくものかは分からないが、自身の健康感を見直せる良い機会となった。

今回のまとめ

とにかく、出産前の年頃の女性は「用がないから」と忌避しないで、一回婦人科で検診を受けておくのをオススメする。痛みがない故に「沈黙の臓器」と呼ばれる卵巣。パンパンに膨らんで捻れる前に見つかれば儲けものである。
是非、友人やご家族にも、一度検査を勧めていただきたい。


続き

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