全身麻酔は漫画のように〜卵巣嚢腫と私②

 

area6062.com

 

N先生との出会い

2017年、5月2日。
近所の産婦人科医に書いてもらった紹介状を持ち、大きな総合病院へ向かった。今は亡き祖母が、昔手術を受けたところだ。
この日、初めてN先生と出会った。「中堅」といったイメージの男性。実は、現在も妊婦検診でお世話になっている。今でこそ全幅の信頼を寄せているが、最初の頃は、言葉が丁寧でも、無表情で目が笑っていないN先生が少し苦手だった。
往生際が悪い私は、手術を受けるのが嫌で嫌でしかたがなかった。なので、手術が確定したことを告げられないまま突然看護師さんから入院の説明を受けた時は、大変ショックを受けた。他にもがんの検査にドキドキしたり、肺機能のチェックでゼェゼェとなったり、実際に手術を受けるまで仕事の合間を縫って10回ほど通院し、少しずつ手術への覚悟を決めていった。N先生は忙しいので、いつも必要なことだけを坦々と伝えてくれた。

みかんと卵巣

通っていた病院は、当時の自宅から遠かった。何故わざわざそこを選んだかというと、設備が整っているからだ。
皆さんは腹腔鏡手術というのをご存知だろうか。ぱっくり開腹するのではなく、小さな穴をいくつか開けて、そこになんやら器具を入れて処置をしてもらう低侵襲性の手術である。傷が小さいので、術後の疼痛も開腹より少なく、美容的にも優れている。なるべく安心して手術に臨みたかったので、私は迷わず腹腔鏡手術の実績が多い病院を選んだ。

ある日の診察で、N先生が手術の説明をしてくれた。
「卵巣がみかんだとしてですね、皮の部分をめくって、内容物を出して、また戻すんです。実際中を見て、状況によってはそれ以外も取らないといけないこともあります。」
これがその時の説明の図である。

右の丸が卵巣をカットする様子、左半分がお腹に開ける穴の場所だと思われる。バッテン印はよく分からない。
そういえば近所の産婦人科医も、同じように「卵巣がみかんだとして…」と簡単に説明をしてくれた。そちらで描いてもらった図は、確か皮につぶつぶのついたみかんだった。産婦人科には卵巣はみかんに例えて説明するというマニュアルでもあるのだろうか。

「一個あれば妊娠は可能ですけどね、なるべく残しますからね。」

パンパンに腫れた卵巣だが、「卵巣腫瘍摘出術」ということで、なるべく健康な部分は保存できるように手術をしてくれることが分かった。

いざ、手術室へ

仕事が一段落した7月25日、ついに入院の日がやってきた。日中は母に付き添ってもらい、絶食したり着替えたりして、翌日はいよいよ手術の日だ。
中央手術部 | 関西ろうさい病院(兵庫県尼崎市)地域医療支援病院・がん診療連携拠点病院
手術室の様子は、このページの汎用性に優れた広いスペースという項目の写真が一番近いような気がする。眩しい照明。寒色系の、広くて無機質な部屋。初めて入る空間は、映画やドラマのようだった。

眠っている間に開腹手術になったらいやだな。
万が一失敗したらどうなってしまうんだろう。
もし全身麻酔から目覚めなかったら…

術前には「ちょんまげ〜」などとツイートしていたが、いざ手術台に上がるとそんな不安がまとわりつき、涙が出てしまった。そんなに命に関わるような手術ではないはずなのに。スタッフの方が「大丈夫?こわいよね」と、ティッシュを渡してくれる。いい歳して、子どものようだった。
さめざめと泣いた後、涙と鼻水を拭いて気持ちを立て直していると、若い男性の麻酔科医が話しかけてくる。
「どう?昨日寝れた?(笑)」
謎のチャラさを全面に醸し出す医者。以前名古屋に裁判を見に行った際、成歩堂龍一宜しく啖呵を切る弁護士と、扇子で嫌味ったらしそうな顔を仰ぐ検察官の熱いバトルを見たことがあるが、それに匹敵するほどフィクションのキャラクターのようであった。
口にマスクを付けてもらう。
「はーい、まだこれ酸素だから!麻酔入れてないからね!はい、しっかり吸って〜吐いて〜」

これ、未だに嘘じゃないかなと思っている。
マスクか点滴から麻酔が入っていたのか、この会話以降の記憶が全くなく、一瞬で意識を失ったに違いない。麻酔科医、恐るべし。

体感では、数分間の暗闇の後、遠くから声が聞こえた。




「◯◯さーん!手術終わりましたよー!」
手術室からワープしているので状況が理解できないが、どうやらベッドに寝たままガタガタと移動しているようだった。
意識が戻ると同時に、唐突に腹部にナイフで刺されたような激痛が走る。勿論ナイフで刺されたことはないが、怨恨でサクッと刺されたらこんな感じなんだろうなというほど痛かった。皆さんには、人から恨みを買わないように気をつけていただきたい。
「痛いッス!めっちゃ痛いッス!」
パニックになりながらも、一応敬語で騒いだ。
「痛いってよ」「今鎮痛剤打ちますからね〜」
そんな会話が聞こえてくる。早くしてくれ。死んでしまう。

病室で痛み止めを打ってもらい、しばらくすると痛みは落ち着いた。足元では、血栓を防ぐためのポンプ(多分)がシュコシュコと音を立てている。立ち会ってくれた母が帰宅してしばらくすると、また痛みが出てきた。苦しい。鼻のあたりに何か管がついているのも相まって、呼吸がうまくできない。ここで「息ができなくて死ぬ!」とパニックになり、泣きながらナースコールをした。鼻をスンスンしながら「これ、苦しいので外せますか…?」と聞くと、丁度時間になったようで、管を外してもらえた。多分酸素を送るチューブだったのだが、この時は本当に死を感じた。パニックって怖い。

夜間になり、痛みが強くなる。しかし、ナースコールをしても無駄である。何せ、この筋肉注射の痛み止め、6時間ほど間を開けないと打てないのだ。
時が経つのを待つしかないが、部屋に時計がない。痛みが最高潮の中、腕を精一杯伸ばし、苦悶の表情でiPhoneを鞄から取り出す。自分としては、命からがら。時間を確認できるようになるまでが、本当に地獄だった。

小さい傷でもめちゃくちゃ痛い

「4つ穴を開けると言ったな。あれは嘘だ。」とばかりに、N先生はおへそと左の下腹部の2つで手術を完了してくれた。N先生、すごい。ちょっと苦手だと思ってたことを申し訳なく感じた。おへその方の傷は少し大きめで、一時期はおへそがなくなるかと思ったが、きちんと元のように、汚れの溜まらないぽっかりおへそに戻ったので良かった。私は自分のおへそがお気に入りだったのだ。
ただ、2つの小さな傷でも、先ほど述べたように、しばらくはめちゃめちゃ痛かった。ご丁寧に痛さレベルのメモが取ってあったので、痛みレベル(☆)とちょっとしたメモ(鉤括弧内)を転記しておく。私は痛みに弱い方だと思う。参考程度にしてほしい。

手術当日夜…☆☆☆☆☆
「ねれない・痛み止め3本」
この日は、筋肉注射を打つ痛みがどうでもよくなる程、傷の痛みが辛かった。必死の思いで手にしたiPhoneで時間を確認し、6時間のスパンギリギリでナースコールを押して痛み止めを打ってもらった。氷枕を当ててもらうと、だいぶマシになった。

術後1日目…☆☆☆☆
ロキソニン・痛いけど寝れる・朝水飲む・お昼食べ過ぎ」
この日は注射は打たなかったのだろうか。ロキソニンで抑えられる痛みなら全然マシである。
術前からずっと絶食だったが、朝は水を飲み、お昼からご飯が出た。食いしん坊なので、胃腸の調子が不安定なのに食べすぎてしまったようである。

術後2日目…☆☆☆
「薬がこないが大丈夫・すごく寝れる・ガスが出る」
薬、もらえなかったのだろうか。それでもしっかり寝れるほど痛みが治まっているのはすごい。胃腸の調子も順調だが、お通じはまだである。
この日は上司がお見舞いに来てくれた。痛みが落ち着いたタイミングで本当に良かったと思う。

術後3日目…☆
ロキソニンいらず・くしゃみや咳が出るとやばい・お通じあり」
痛みレベル星一つというところからも、ロキソニンがいらないほど痛みがなくなったことが分かる。
この日は当時はカレピだった今の主人がお見舞いに来てくれてウキウキだった。院内のカフェでお茶をしたが、笑うと傷が痛むのでひやひやしながら会話をした。

術後4日目…☆退院
退院後は、しばらく実家で世話になることになっていた。しかし、笑うと傷がひどく痛むので、会食中の父のくだらない冗談などに耐えきれなくなり、一週間で一人暮らしの自宅へ戻るのだった。箸が転んでもおかしい年頃は過ぎているような気がするが、笑ってはいけないときこそ、なぜかツボにはまってしまうものである。

今回のまとめ

初めての全身麻酔。今でも忘れられないが、麻酔からの覚醒時は、本当に漫画や映画の世界のようだった。
腹腔鏡手術は低侵襲だが、それでも傷は大変痛む。夜間、痛みに耐えきれずに看護師さんを呼ぶと、その姿は正に「白衣の天使」であると感じた。時には「うーん、まだ2時間は痛み止め打てませんね」と、悶え苦しむ人間を無慈悲に絶望に叩き落とす天使である。何度も呼んでごめんなさい。
元が痛みのない病気なのでなんだか理不尽に感じたが、その後順調に回復したので良かった。

おまけ

入院中に書いた5コマ漫画がある。手術室で一番印象に残ったことがこれである。


本当にリンク先のように、でっかくてプルプルのパイン飴みたいな枕だったので驚いた。
Source ラウンドゲルヘッド位置決め医療ヘッド枕パッド用手術室 on m.alibaba.com

続き

 

area6062.com