泣き止まない赤子はいない〜出産レポ⑧



夜が明けた

出産後2日目、初めて二人きりで過ごす夜だった。ただでは泣き止まないももちゃん。抱き上げて散々ゆらゆらして寝たかと思ってベッドに入れると、例の背中スイッチが作動してまたギャン泣き。これを繰り返しているうちにお腹が空き、益々寝なくなる。
3時間おきにミルクを与えることができるので、ナースセンターまで取りに行く。私の個室は一番遠い部屋だったので、行って帰ってくるのが地味に辛い。この日は10mlから20mlに増えた。飲ませるとペチャペチャと口を動かし、満足げな表情をしていた。「ようやく寝てくれる」という安心はぬか喜びであり、この日、ももちゃんが眠りについたのは明け方であった。一時は「永遠に泣き止まないのではないか」という思いをし、精神を疲弊した。
朝食前後に2時間ほど眠ることができた。午前10時頃に親族が面会に来る予定だから、最低限顔を洗いたい。歯を磨きたい。部屋を整えたい。自分のことが思うようにできないのは知っていたが、ここまでとは思わなかった。世の母親はすごい。

N先生と面会

朦朧としながらも身だしなみを整えることができた。親族との面会が終わり、昼食を食べていると「こんにちは〜立ち会えなくてすみませんね〜」と、いかにもN先生らしいセリフとともに登場。N先生は私の卵巣嚢腫の手術をしてくださった先生である。(詳しくは卵巣嚢腫カテゴリにて)
妊娠してからも主治医として健診をお願いしていたが、出産当日の金曜日はN先生は他の病院に行っていて、もも氏は違う先生にとりあげてもらったのであった。
いつもの調子なのに、いつもと違うのはとっても笑顔。調子に乗って「先生、お写真いただいてもいいですか、赤ちゃん抱いてもらって」とお願いしてしまった。快く引き受けてくださった。きっともう二度とないチャンスだったので、自分にグッジョブである。
「本当に手術の時から、有難うございました」と、忙しいであろう先生に、短く感謝の言葉を伝えた。以前記事にしたが、卵巣嚢腫の手術をしていただいた先生だ。病気が見つかった頃は、「病気のせいで、将来自分には子どもができないのではないか」と悪いように考えて涙を流した夜もあった。そんな過去の思いが一瞬で蘇り、先生が去って行く際に「アリガドォゴザイマシダ…」と秒で感極まって涙声になってしまったのが恥ずかしい。
「また外来でね、お願いしますね」と、クールに去っていくN先生。あとで写真を見返すと、ぎこちなく歯を見せている先生は、目を瞑ってしまっている。あの時、先生の目が笑っていたかどうかは、私ももう覚えていない。

はじめての沐浴

午後には沐浴指導があった。寝不足の私には新生児を片手で湯船に浮かべてキープできる自信がなかったため、最初の沐浴は主人にお願いした。
両親学級などで沐浴体験をしたことはなかったが「パパすごい上手〜!」と助産師さんに褒めてもらっていた。良かったね〜と話すと「きっとみんなに言ってるよ」とのこと。上手だったのにね〜。

はじめての添い乳

この日はミルク30ml。でも寝ないこと寝ないこと。困り果てたところに助産師さんがやってきて添い乳をすすめてくれた。添い乳とは、簡単に言うと涅槃スタイルといったところである。これがまたよく寝る
お腹がいっぱいになり、ポワーッと満足げにそのまま寝てしまうのだ。窒息の危険があったり、授乳=睡眠のクセがつくと後々よくなかったりとデメリットもある。しかし、まあよく寝る。必殺技として活用していこうと思っていたが、生後101日現在でも常用してしまっている。

 

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